〔三号〕などあらゆる運動を続けなければならないものと思われる。しかし最悪の場合でも、国および道の出資によるものだけでも当面基金を発足させ、併せて民間関係の要請を続けて行くことになるだろう。なお、この基金運営の公正を期するために、財団法人 ら一年経つから、あまり胸をはれたものではないが。とを新たに設け、これによって運営することとしており、発足の時期についても、国及び道出資の実情をみながら考えることとしている。決意新たウタリの福祉を 〝先駆者の集い〟三号をここにおくる。二号が出てかころで二号が発刊のときもシャクシャインの集いのあとであったが、今回も丁度その時期。シャクシャインに、お前たち後輩は何をぼやぼやしているのかと、叱られな確固たるレール敷こうがら筆をとっている。ことしはわれわれウタリにとってはまことに大事な年である。ご承知のとおり期待のウタリ福祉基金は不本意にもその実現をみるに至らなかった。基金に財政援助の例がないと、国の言いぶんではあるが、われわれにしてみれば、ささやかではあるが、自立へのまず第一歩の施策と考えていただけに深いショックを受けた。しかし幸いなことに、われわれの訴えとその実情を認めていただき、実態調査のもと四十八年度から何らかの施策が新たに行なわれようとしているとのこと。魂まで見てほしいとはいわない。われわれウタリをとりまく社会悪、経済の不均衡を平等にしてほしいという願いなのである。保護法の是非論は別としてあれから七十三年、今日ほどわれわれの選択が問われることはふたたびないであろう。今年はその意味で、ウタリの福祉を進めるうえに確固たるレールを敷きたいものである。国の責任で機関を アイヌ改造に再教育望む第9章 現代北海道政治史の中のアイヌ民族986
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