北海道現代史 資料編1(政治・行政)
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たことが大事。俺のところの村にも何かあるはずだ、俺ならこんな工夫ができる、ものづくりではないけれどもこっちで参加しよう、というふうにやり始めたことが大事。地方自治の原点は、そこに暮らす人たちが、マチを舞台に踊り出すこと、つまり自ら共同体活動を起こすことにあるのです。市町村サミットの方は行政主導でしたから、私は一つも立ち会っていません。ネクタイ外してやろうとか、台本なしでとやっていました。本当に台本なしだったかどうかは分かりませんが、でも横路さんがそうやろうとしたことは間違いない。もともと人権問題に関心を持っていたのと、多分お父さんの時代から取り組まれておられたのではないで松本 すかね。野呂栄太郎の妹だったお母さんの影響があったのかも分かりません。公約の柱に「今、新開拓時代」とうたった時に横路さん本人から出た言葉は、「『開拓』を強調すればするほど、それはアイヌの人を奥に追いやったという裏の歴史を持っている。だから余計、アイヌのことを正面に出さないといけない」と。だから横路さんの演説では、「北海道の開拓時代のことを思い起こすと、アイヌの人を始め…」と必ずアイヌの人を先に持ってきた。私と話した時は、「旧土人保護法なんて、やがて二一世紀になろうかという世の中で、ありえざる言葉が平然と使われている。せめてこれだけでもなくしたい」と言っていた。もう一つ、ウタリ協会ってありまして、ウタリというのは仲間という意味ですから、アイヌ民族を表現しているわけではないのです。だから堂々とアイヌという言葉を掲げるということもやりたがっていた。横路さんのときのウタリ問題懇話会が脈々と続いて、後のアイヌ文化振興法につながった。そうした先鞭をつ―横路元知事は、非常に早くから旧土人保護法の廃止に言及しており、一期目にウタリ問題懇話会最終報告書がまとめられています。なぜ横路元知事はアイヌ政策に関心が高かったのでしょうか。   第10章 証言でたどる北海道の政治・行政1134

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