〔一九四八年九月十日〕〔一九四九年六月十七日〕〔六月二十三日〕午后二時より栗沢村、寺にて各党立会演説会を開催す。道連より喜多〔(幸章〕書記長出席、「農村問題は如何に在るべきか」に就いて、特に北海道に於いて最近勢力を植えた農民同盟の共産党との提携方針に対して、社会党が、党の精神を中心に、農業と云へども国会勢力のない政党は到底その基本的農民解放の条件は満足されない北海道農民同盟と社会党の接近編者注)「日本社会党北海道支部連合会期間報告」編者注)〔(と述べた〕。編者注)農民同盟青年部主催懇談会を北農連第三別館で三時―五時開催。道連より農地委員の明地道治を出席せしめる。 「〔(社会〕党は不徹底な第二次農地改革で、封建日本の農村は再び旧体制に復元することを憂慮している。速かに第三次農地改革を断行し、アジヤ的特殊な日本農業の酪農協同化を中心として新しい農業形態を作り上げるべきだ」との堂々たる見解発表に対し、共産党山根は、「田中知事の攻撃、社会党の悪口、温床障子紙問題攻撃」等で、彼等一流のデマゴーグな発言に終始したのみである。〈中略〉 道連執行委員会、十時道議会控室。④ 農業対策として、農民組織は日農の共産フラク化と〈中略〉一九五〇年〈中略〉第四節 農民団体・労働団体の叢生① 農民同盟と共産党の接近可能性〈一九四八~四九年〉農民同盟への警戒から受容へ第1章 国内・道内政治① 38 154(1)
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