一九五九(昭和三四)年四月の北海道知事選では、田中敏文知事の後任として町村金五(自民党)が横路節雄(社会党)との新人対決を制し、戦後初めて保守道政が誕生した。資料1は、同じ内務省出身で愛知県知事経験者の自民党参議院議員・青柳秀夫と町村の間にあった結束をうかがわせる知事選前夜の書簡である。資料2も、やはり内務省OBで戦前に北海道総務部長も務めた岩上夫美雄の日記である。岩上は道内のオリビン(カンラン石)を町村道政下で事業化する思惑を抱きつつ、知事選を熱心に応援していた。資料3は、町村道政下の各種選挙で駆使されるいわゆる「道庁マシーン」を男性道幹部のみならずその配偶者たちが少なからず下支えしていたこと、また、創価学会とのパイプを担う川城出納長のルーツが全道庁労組であったことから、保守陣営の手法がおそらく革新陣営のそれに一部由来していたこと、を伝えている。ただ、実は高度成長下の自民党道連(自由民主党北海道支部連合会)には、道・国双方で与党であるにもかかわらず、北海道開発が遅れていることへの焦慮と池田勇人内閣への不満が伏在していた。資料4が示すように、国民の格差を是正する所得倍増計画の掛け声の下「未開発地域」北海道の問題が埋没する懸念はぬぐえず、北海道開発庁の権限の弱さも悩みの種だった。しかし、こうした焦慮が同じ自民党の町村知事に共有されていたわけではない。「マシーン」にも支えられて再選説 保守道政への転換と自民党道連解 第一節 町村道政と北海道の五五年体制解 説175(1)
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