て実質二十名、形式上でも四十名に近い、やがては中曽根派、田中派に敵いはしませんが(爆笑)大臣の二人位出せる派閥にして行きたい。朝七時に、家を出て空港に向った。空港では佐々木秀 はご苦労なことである。二時間あまりかかって旭川空港世先生[衆、北海道2、大平派]と青木[徹郎、TBS]・梶原[武俊、共同]両記者が待っていた。同行とに着いた。旭川は珍しく暖かくオーバーもいらぬ位であった。西田信一先生の事務所に立ち寄り、幹部の人を〈一九七四年、一九七六年〉森田一『大平正芳秘書官日記』二〇一八年(根室市役所所蔵)激励した。ニュー旭川ホテルで記者会見をした。地方の記者は純朴であまりするどく追及しなかった。それから旭川市長[五十嵐広三]より陳情を受けた。その後、外務大臣歓迎のレセプションに出席し、簡単な挨拶をした。その後、演説会場で西田先生の応援演説と講演とをまぜたような話をした。会場一杯に千人以上入っていた。選挙もいよいよ大詰めにきた。あと三日間の運動である。是非西田信一先生に上がってほしいとの祈りをこめて、十一時二十五分発の全日空七〇四便で千歳に向った。西田先生は、本当に顔を真黒に日焼してがんばっていた。人間の顔がこんなに黒くなるものかと思うほどである。途中江別に寄ってから札幌市に入った。札幌市内数ケ所で街頭演説をした。その熱気や候補者の熱意をみて、これは当選できると感じた。〈中略〉〈中略〉〔一九七四年二月十七日〕〔七月三日〕① 一九七四年参院選の混乱とロッキード事件大平派の苦労第2章 国内・道内政治②28 250
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