格化されなかった。その中でも、大規模開発事業を執行する事前段階に行われる環境影響評価(アセスメント)に着手できなかったことが大きく作用した。こうした状況を打開するため、一九九七(平成九)年に加藤昭北海道開発庁事務次官は、堀達也北海道知事に、これまでの経緯にこだわらずに放水路の必要性について道で検討の場を設けてもらいたい旨を打診し、同年九月に知事の諮問機関として「千歳川流域治水対策検討委員会」(委員長は山田正家小樽商科大学学長)が設置された。資料27は、同委員会が一九九九年にまとめた提言書の要旨である。その中で、千歳川と石狩川の合流点を含めた流域の総合治水対策の推進と、放水路計画を検討の対象としない方針が明らかにされた。堀知事は川崎二郎北海道開発庁長官と関谷勝嗣建設大臣に意見書を提出し、これを受けて、両大臣は千歳川放水路計画の中止を正式に決定した。その後、改めて千歳川流域の治水対策を講じるために、道と北海道開発局により千歳川流域治水対策全体計画検討委員会(委員長は小林好宏札幌大学教授)を発足させた。資料28は同委員会が二〇〇二年にまとめた結論であり、堤防強化と遊水地を併用した案が提案された。千歳川放水路計画の一連の経過に関しては、日本野鳥の会・北海道自然保護協会・とりかえそう北海道の川実行委員会編『市民が止めた! 治水史編集委員会編『続石狩川治水史』(北海道開発局石狩川開発建設部・旭川開発建設部)が詳しい。また、先に引用した中野裕隆の論考(『ひらく』二〇二二年三月号~二〇二三年三月号、計一三回)及び鈴木栄一(元北海道開発局長)へのインタビュー(『ひらく』二〇二三年五月号)が参考になる。北海道開発体制は創設当初の経緯に由来し、社会資本整備分野の政策が主流であった。ところが、北海道開発庁が企画調整機能を発揮することにより、地域特性に基づいた独自の政策が行われたケースも見られる。その典型例が、千歳川放水路―公共事業を変える道すじ』(北海道新聞社、二〇〇三年)、及び、続石狩川第四節 北海道開発政策の独自性解 説595
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