してよいのかという問題もあるのです。ご承知のとおり、北海道開発行政の特色は、三十数名という少数精鋭の開発専門官によるスタッフシステムの活用にあるのです。ところが、特定個人への情報集中が、総合的な判断システムを崩すおそれもあります。樫原 ご指摘のとおり、北海道開発庁と道庁との組織的なおつきあいということになれば、いろいろなレベルのポジションを通し、重層的な接触を保つことが望ましいということでしょう。私が現役の頃は、そういう心掛けでやっておりました。しかし、場合によっては、大西さんには、個人的な相談を秘かにもちかけたということがあったかも知れません。私の経験では、最重要事項では、北海道開発庁必ずしも頼りにならずという印象を強くもったときも何回かあったように思います。何回目かの財源の特別負担の調整問題のときでした。四十五年頃、小林〔(元橡〕事務次官、三枝〔(三編者注)編者注)郎〕副知事の時代でありました。当時私は企画部長でした。いろいろな情報で、北海道開発庁は大蔵寄りのポジションに立たざるを得ないと見受けられました。そこで私たちは、北海道開発庁に頼らず、町村知事を先頭に、中川一郎先生や地崎宇三郎先生のご協力などをいただきながら、この問題では、政治決着を図る戦法を採らざるを得ないところに追いこまれました。不本意ながら、北海道開発庁の頭越しに反対運動を展開したのです。やがて、事態が決着する重要な局面で、北海道開発庁に呼び出され、きつくおしかりを受けたことを思い出します。こういう場合、北海道開発庁も、自治省がよくやるように、各省を敵に廻してでも、私たちのためにひと肌ぬいで欲しかったものであると今でも残念な思いが残っております。(北海道立図書館所蔵)第1節 北海道開発体制の形成と変容611
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