青年組合員が職場離脱闘争を行い、これが全国機関区などに波及し、同年一〇月までに全国で一、四八九人が職場離脱を行ったといわれている。一九五〇年六月の朝鮮戦争勃発に続いて「レッドパージ」が始まり、北海道では共産党員又は支持者とみなされた合計一、二五四人が追放された。また、同月には民主的労組の結集を目的とする日本労働組合総評議会(総評)が結成された。道内では民同(民主化同盟)系と中立労組による労働戦線統一運動が起こり、同年一一月全北海道労働組合協議会(全道労協)が結成された。全道労協は一九九〇年の連合北海道結成まで道内の労働運動の中核的役割を果たす。資料7は全道労協結成の運びとその性格、日本炭鉱労働組合北海道地方本部(道炭労)加入の機運などについて報じている。株式会社日本製鋼所は、朝鮮戦争中に高収益を挙げ、その後、軍事特需の後退やデフレの影響で赤字に転落したため、一九五四年六月に従業員約一、〇〇〇名(うち、日本製鋼所室蘭製作所は九一五名)の解雇を発表した。日鋼室蘭労働組合はこれに反対、同年七月、道炭労、北海道三井炭鉱労組連合会(北三連)、総評などによる「日鋼室蘭首切り反対共同闘争委員会」が発足した。九月解雇者ゼロを目指して長期闘争を決定、同月第二組合の結成などを経た後、一二月に組合が中央労働委員会(中労委)のあっせん案を受諾し日鋼室蘭争議は終結した。資料8①は日鋼室蘭労働組合の人員整理に対する抗議文で「大量首切り」に反対している。資料8②は同組合員が無期限スト中に執筆した日誌の一部で、同争議についての回想とあっせん案をめぐる折衝の動向について記載されている。全道の労働者有全道労協の発足日鋼室蘭争議995(4) (3) 解 説
元のページ ../index.html#1009