昭和二十年十月十三日、食糧確保、出勤賞与、二坑連絡橋建設等、約二十項目に亙る要求事項を上げて、組合発足後第一回の団体交渉を会社側より坂梨労務課長等が出席し会社会議室で行つた。四、単一組合への再編成を戦ひとれ!!戦史にも明かなやうに指揮統帥の一貫しない軍隊は常〱 -に惨たる敗北を喫してゐる。これが事例はかの大東亜侵略強盗戦争に於ける日本陸海軍のテンデバラさのザマによつて見ても疑のない所だ。わが聯合会は戦へば必ず勝つの伝統に輝くものではあるが、しかしかへり見て完全無欠の戦斗体たり得てゐるか? 北海道炭砿労働組合聯合会『炭砿聯ニユース』№三 (北海道立文書館所蔵 A一一一九四六年一月一九日三 六五)会本来の性格に□いて徹底した指揮統帥といはんよりはむしろ連絡協議の機関をして存在して来たと見るのが妥当なのである。これでは最高機関の意志は(例へばゼネスト指令)下部組織たる加盟組合に強制力を持たず、又加盟組合の下からの建策が必ずしも聯合会の意志決定の要素たり得ないのであり、又他組合からの応援斗士派遣を当然の権利として要求することも出来ず、折角来てくれた応援斗士が勝手に彼の組合にもどらうと云ひ出した際之を引とめる権利もないといふ、つまり相互の信頼を唯一のたのみに協力し合つたのみであつて、民主々義の原則から割り出された権利義務の行使ではなかつたのである。こんな弱体組織をもつて政府及統制会をバツクとし、勅令や警察力に擁護された資本家どもに対抗するとはいさゝか無暴と断ぜざるを得ないではないか? ないく聯は急速に単一組合に編成替を断行し全国に魁けて戦線統一のための指導権を握りもつて全国炭砿労働者の勢力結集を提起し、之を組織化し以つて全炭砿資本家に挑んそれは聯合で生活の向上、労働条件の改善向上を戦ひ取らねばなら炭砿〔炭砿聯 今後の斗争〕2 単一組合の必要性1003第1節 戦後復興期の労働運動
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