ぬのである!!之を要するにたゞ一つの炭砿で勃発した賃銀引上要求のストライキも政府は必ず緊急勅令による強制調停や警察権力の行使によつて、ムリヤリに圧殺する方針なのだから、いきほひストライキは政治斗争たらざるを得ないのだ。政府を含めての敵どもが即ち我々労働者の敵の全部なので、従つて我々労働者が全国的産業別の組織を極度に張りつめた鋼鉄の如き単一組織にしなくては、たたかいは□たないのだ。今や炭砿聯の単一組合化は全加盟組合及全道炭砿労働者に課された最大の責任であり、義務である!!(札幌学院大学所蔵 ―一九四六・一・一二 笠嶋一資料五五〇三一〇三)終戦の年の秋から、翌年の春までに炭礦では北炭、新夕張、三井美唄、三菱美唄などで熾烈な斗争が展開された。荒井―特に有名なのは三菱美唄の所謂「人民裁判事件」、終戦直後の革命的雰囲気が溢れる当時の世相を反映して後に激しい労徹()争議を行つた炭礦において発生したことは決して偶然でないたろう。これは二十一年一月、三菱美唄炭礦労組員(約五千)がベースアツプその他十項目の要求をかかげて斗争に入つたことから、労組では二月生産管理を決議、十八日夜炭鉱における労働争議の概況〈一九四五~四九年〉注目を浴びた三菱美唄の人民裁判事件労働運動の展開北海道労働部『北海労働』八二・八三合併号一九五二年一月一日〔労働風土記道炭労の巻(上)〕3 1004第10章 労働運動 -- 働(2)
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