北海道現代史 資料編2(産業・経済)
1029/1104

昭和二十九年六月十九日株式会社日本製鋼所社長  新谷 哲次 一二月一六日何時もの通り朝早く起床。朝食后、子供達は学校へ、自分は地区斗へ、英雄は青行隊に行く。無事点呼も異状なく済み、私は斗争本部争対部に行き午后一時頃帰る。今日は生対部の世話で何時もの通、副食物の配給あり。之も皆、全国の同志の御支援の賜と涙の流れる程嬉しく、 (北海道労働資料センター所蔵 「不当首切絶対反対日誌№23」(日鋼室蘭「日鋼室蘭争議関係資料 四年 日本製鋼所室蘭製作所労働組合 人員整理反対総蹶起大会  組合員闘争日誌②」一九五所収)二九 S六一)どんなことがあつても勝利の日まで頑張らなければと心に契ひ、子供達にもよく聞かせました。午后三時より地区斗本部にて地区の業事の一つ労働運動に対するサアクルをやり、其れに対する討論もやつた。今日の議題は労働組合の本旨とはで、決論としては皆んな団結して常に資本家に対立しなければならないと云ふことになつた。家に帰り日誌をつけるべくペンを取つたが、長いいて見ることにする。思ひば長いの春季斗争から始まつたのだ。而して四月に入り本格的になり五月にストに入り、末頃には首切りの噂も出て来て六月十日頃には之に対する日鋼労連大会で〝一人の首切りも出さない、一人の首切にも全員で斗ふ〟方針を決定した。其の間、青年行動隊、社宅主婦の会の組織化も決定されたが、愈々六月十七日東京に於いて人員整理案を含む合理化案が出されたのだ。此の日から私達の斗争は開始されたのだ。一八〇日を 〱 〱九-殿印   斗争を反省して見るのもいゝものだと書斗ひだつた。私達の斗ひは三月十九日② ある組合員の日鋼室蘭争議に対する意識1015第1節 戦後復興期の労働運動

元のページ  ../index.html#1029

このブックを見る