加えられた。其れでも俺達のスクラムは解かれず益々団結は堅くなる許り、全国労働者、農民、市民の御支援で生活も維持出来て心配なく斗えるのだ。十月二十八日には青組相手にせずと正門ピケを解き、戦術転換、会社一本を相手として斗ふことを確認された。石炭カンパが来る様になつたのも其の頃だつたと覚えてゐる。オルグ団も南は九洲まで派遣された。十一月に入り会社も動き出し、現地視察に来る様になり、交渉も中央に移された。中山会長のアツセン案も出たが、仲々まとまらず中央での交渉は続けられた。十一月に入つても今年の天候は暖かく私達には何よりと思ふ。十二月に入り益々団結固く勝利に向つて突進し〔(乱丁〕に対する憎しみは倍加される。午后八時上京代表団全員帰蘭する。本当に長い間御苦労様でした。之に報ひるには、最后の勝利の日まで斗ふ態勢を崩さないことだ。さあ正月返上花見までだ。(北海道労働資料センター所蔵 編者注) 九- 二九 S八七)一、日鋼室蘭の争議 日鋼室蘭の人員整理をめぐる事議は、十二月十七日提示された中労斡旋案を労使とも同二十七日受諾、同三十日協定書を交し、六月十七日整理案が発表されて以来百九十六日目に終止符を打つた。斡旋案について、日鋼石塚会長は十七日「双方とものむべきだと思つている」と記者団に語つたが、組合側は上京執行部が十八日鉄鋼労連本部で高野総評事務局長はじめ共斗代表と合同会議を開いた結果、斡旋案を現地に持帰つて諾否を決することになつた。共斗の有力単組である富士鉄室蘭労組は二十日中央交渉団構成員であつた同労組書記長を中心に緊急執行委員会を開き「斡旋案は止むを得ないものとして受諾すべきであり、退職条件、立上り資金等について不満があるが、1019―労使、中労委斡旋案を受諾―北海道労働部『北海労働』一三一号〈中略〉一九五五年二月③ 日鋼室蘭労働組合の斡旋案受諾第1節 戦後復興期の労働運動
元のページ ../index.html#1033