北海道現代史 資料編2(産業・経済)
1063/1104

一方、山元においても六月三日、会社の示す再建案を組合側が了承し、労使協力して再建に努力することとなった。また、赤平市も一体となって反対運動を続けることを決め、六日から中央、地方の関係機関に対する陳情行動を開始し、九日には赤平市助役等市民代表二〇名が町村知事に、道の積極的協力を求める陳情を行なった。町村知事は、「道としてもできるだけの協力はしたい」と答えた。その後一行は、道議会・札幌通産局・明治鉱業札幌事務所等に陳情した。豊里鉱再建策の確立と、全道炭鉱の閉山をしないという議決を行なわしめるため、七月五日から道庁正面門にテントを張り、通行人に炭鉱労務者の苦況を訴えながら座込みに入った炭労は、六日には豊里炭鉱主婦たち約六〇名を含め、道庁前でデモを行なった後道議会傍聴が入った。        議会では知事が答弁にたち「明治本社社長と会って、強く再要請する」と道の態度が明らかにされた。しかし、 「抽象的答弁で、誠意がない」「私達を見殺しにするのか」「山をつぶす気か」などを口々に叫び議場内は一時騒然とし、議長から豊里炭鉱主婦たちの退場命令が発せられ、議会は異例の休憩宣言となった。その後、主婦たちは、知事に面会を求めて、引続き知事室前座込みに入った。七月七日、那須副知事が、道炭労委員長ら二〇名と会ったところ、道炭労委員長は、豊里鉱再建に対する具体策について再三にわたり道の態度を追及した。副知事は「道としても出来るだけの努力はしている。しかし私企業に対して〝つなぎ資金〟として道費から六、〇〇〇万円も融資する、というようなことは簡単に出来ない」と答えた。これに対し豊里炭鉱主婦たちは、①つなぎ資金の融資②那須副知事が自から豊里炭鉱視察をする―の二点について強く要求した。この結果副知事が①つなぎ資金については、努力する②近く入山すると回答して団交を終わった。十一日から開催された炭労第四九回定期大会で、豊里第2節 高度経済成長期の労働運動1049

元のページ  ../index.html#1063

このブックを見る