北海道現代史 資料編2(産業・経済)
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七〇)年を叙述の下限としていましたが、その史料編では北海道拓殖計画の報告書や北海道総合開発計画書など幾つかの大部の史料が掲載されただけでした。ですから、第二次大戦後の資料収集は実質的に初めての試みとなりました。かなりの資料が蓄積されましたが、どの資料を選択するかは各部会員の選択に一任しました。必ずしも通史にそって満遍なく資料を配置する必要はなく、いかに重要な資料を発掘するかに重点を置いたためです。しかも産業の変化をみれば、既に大方の炭鉱が閉山した鉱業もあれば、二〇〇〇年以降に飛躍的に発展を遂げている情報通信産業などもあります。ですから、収録される資料の時期の重点の置き方も異なってくるわけです。現代史のもう一つの難しさは、どこまで書くかということにあります。二〇〇〇年頃までの北海道経済を眺めて見ると、平成九(一九九七)年の北海道拓殖銀行の破綻が大きなインパクトを与えました。破綻から二〇年ということで幾つかの貴重な出版もありましたが、資料整理や評価が終わっているかと言えば、否です。卑近な例で恐縮ですが、私の財布には「たくぎんキャッシュカード」が入っており、まだ現役で使用中です。二〇年という時間では、経済的な変化を「歴史」として客観的に評価するにはまだまだ難しいようです。この点にも配慮しながら通史へとつないでいかなければなりません。なお、諸事情により編集の途中で部会員の交代、補充、退任がありました。金融及び観光を担当されていた佐藤委員の退任は、資料の選定をほぼ終えた段階でした。そのため、補充人事を行う時間的余裕がなく、部会のまとめ役であった坂下及び奥田委員が解説を執筆することになりました。令和五年(二〇二三年)三月    産業・経済部会長 坂下 明彦1075おわりに

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