北海道現代史 資料編2(産業・経済)
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来ている。このように支給回数が増加したのは資金操作の点からとみられるが、支給される側としては、冬営手当の性格から、支払時期が問題となる。一回支給(一時払)では十一月支払が一番多く、十一月までの支給が全体の七%である。二回支給のところは十一・十二月支給が一番多い。三回支給は十、十一、十二月、四回支給では九、十、十一、十二月が多い。六回支給は十一より四月までのところが一番多い。これは冬期間を毎月均等に支給しているのである。以上により二十五年度の一般的支給水準をみたのであ昭  るが、これで大体の傾向はつかまえられると思う。その一 戦後復興期のあゆみ〈一九四六~五五年〉北海道『経済白書 和31年版』一九五六年この十年の展開過程(北海道立文書館所蔵)北海道経済実相報告書 この十年、本道経済は日本経済の発展過程の中で、どのように歩んできただろうか。その足どりを年次を逐つて素描してみよう。(二十一年~二十三年の段階)=戦後、日本経済の苦悩は、戦災による破壊、領土の喪失、人口の増加、そして、インフレと食糧危機に象徴される。本道は食糧生産が割によく、しかも工業生産設備能力が戦災による破壊から免がれて温存され、傾斜生産の頂点である石炭生産を多く受けもつていたため、日本経済の麻痺状態の中にあつて比較的有利に活躍し、いわば実力以上の高い地位を占めたといえよう。(二十三年 三%)(二十四年の段階)=二十四年に入つて日本経済の復興はどうやら軌道に乗り出し、物的窮乏の経済からやや立直りをみせた。加えるにドツヂ・ラインの経済安定九原則によつてかなり強く均衡政策が押し進められた。その余波をうけた本道経済は既存工業の再建(北日本製紙、日東化学、国策パルプ勇払等)あるいは新規工業(旭川国民所得/道民所得=六・10028 第1章 地域経済と経済政策

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