北海道現代史 資料編2(産業・経済)
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紡績、北海道ソーダ、日本罐詰、北紡等)の設立等で工業化の兆も見られたが、まもなく停滞し混乱と復興のインフレ過程の中で実力以上に働いていた本道経済の地位は、相対的に後退を余儀なくされた。(五・六%)(二十五・二十六年の段階)=朝鮮動乱の勃発(二十五年六月)が導火線となつて世界的軍備拡張が進行し、国際経済の活溌化に伴つて、日本経済は特需や輸出が進展し鉱工生産は戦前に復帰して国民所得も拡大し、いわゆる動乱ブーム、貿易インフレ、物価上昇の形に反転した。しかしこれらの情勢が本道経済の活溌化を促す作用は少く、その地位はさらに低下した。(二十五年 二十六年 四・九%)(二十七年・二十八年の段階)=七年間にわたる占領政策から、一応解放された独立日本の経済の基調は、動乱ブームのアフター・エフエクトとしての投資インフレ、消費インフレの連続過程で経済規模は拡大した。特に本道では総合開発の実施(二十七年度)に伴う財政投融資の拡大によつて、脆弱な本道経済をかなりうるおし、一方、勤労所得部分(勤労所得の占める割合は本道がきわめて大きい)の増大によつて、本道にふさわしい地位に復帰した。(二十七年 (二十九・三十年の段階)=二十九年の日本経済は一兆円の緊縮財政と、二十八年十月に始まる金融引締政策によつて、デフレの効果が強くあらわれ、物価は四・五%ほど低落し、国際収支も改善されたが、三十年に入つて輸出の好調と未曽有の豊作に支えられ、加えるに緊縮効果も手伝つて金融や企業の正常化が進み、物価も上らず、戦後初めての健全な発達を遂げた。本道でも、日本経済五・四%、よりデフレの波及深度は浅かつたものの、企業倒産は二十九年半ばまで続き、労働面でも、労働史上稀にみる日鋼の長期ストが起つた。折しも冷害、風水害にたたかれ、米の収穫高は一二〇万石で、戦後最低を記録し、生産と道民生活に与える影響はきわめて大きく、しばし暗影に包まれた。三十年に入るや、上期は停滞したが、下期に入つて工業部門は鉄鋼をはじめ、紙パルプ、化学肥料など戦後最高の記録が続出し、未曽有の大豊作と相まつて五・三%、二十八年 五・三%)101第2節 経済構造と雇用・人口

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