北海道現代史 資料編2(産業・経済)
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至る復員、外地(樺太、千島など)よりの引揚者、開拓入植者などの人口流入によってもたらされたものであり、二八年以降は比較的落着いた動きを示している(人口移動の詳細については就業構造の変化を参照のこと)。次に、住民の所得水準の推移を第一一図〈略〉によって眺めてみることにする。これは前述の生産所得を人口で除したもので、広い意味では一人当たりの付加価値生産性ともいえる。道民の所得水準は、戦前では七九万六、〇〇〇円であったのが三六年には一三六万五、〇〇〇円と一・七倍になった(全国は一・九倍)。この所得水準が、戦前に復帰したのは、全国も北海道も大体昭和三〇年頃であり、以降逐年その水準は高まっている。この所得水準の成長過程をみると、戦前は道民の方が高い水準で、粗放的生産様式ではあったが、その付加価値生産性は高かったといえる。そのような傾向が、冷害凶作年を除き持続されて来たのであるが、昭和三四年以降の日本経済の高度成長は、既成の工業地帯(京浜、阪神、中京)とその周辺を均霑せしめた結果、それ以外の地域との所得格差を拡大せしめたのである。多分にもれず、国民所得水準を上回っていた道民所得水準は、三五年には追い抜かれ、三六年にはさらに水をあけられたのである。以上の三図から、北海道の経済規模は、戦前を上回り、その成長率は高い水準を持続してはいるが、最近の日本経済の成長に較べるときには、相対的に低下してきていることがわかる。そして戦前より二八年に至る北海道の経済成長率は、人口増加率の増大に負い、その後三三年までは生産性の向上に負っていたが、三四年以降は全国の生産性向上のテンポが高くなり、相対的に北海道経済は人口増加率の増大によって成長率を高めたということが言えよう。(北海道立図書館所蔵)103   第2節 経済構造と雇用・人口

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