離農と人口移動現在の住民基本台帳でみると、昭和五〇年から五五年までの五年間において、過疎地域における人口減少率は、七・四%と鈍化してきている。4 意外にせまい移動圏高度経済成長が広汎な挙家離農を生み出した大きな要因と考えると、そこから浮かび上がるイメージは、離農者の多くが大企業の群がる京阪神メガロポリスへ向かって続々と流れる姿であろう。事実、ひところ十勝の農村地帯の新聞には連日のように大手自動車会社の工員募集のチラシがおりこまれていた。しかし、十勝離農者の大部分は町村市街地や十勝唯一の都市である帯広市に止まったのである。天間征編『離農 か』一九八〇年(北海道立図書館所蔵)その後、かれらはどうなったわれわれの調査結果によると(図四―五〈略〉)、住所氏名の判明した四、八四九人の離農者のうち、離農後も十勝管内に止まった者は四、二〇六人、八六・七パーセントに達している。十勝管内には一市一九町村があるが、そのどこにおいても、自分たちが農業を営んでいた市町村内が移転先の第一位を占めている。第二位としては、十勝平野の中央部に位置する一五万都市帯広市である(一、四七二人、三〇・三パーセントが集中している)。また、十勝地域を越えた道内地域に移転した者は八・六パーセント、府県方面四・四パーセント、国外〇・三パーセントとなっている。 このように離農者の大部分が、より高い賃金を求めて大都市へ移動するという一般的図式をとらなかったのは、はたして十勝地域のみの特質であろうか。答えは否である。北海道全体についての離農者の転出先調査結果によると(北海道農業会議『本道における離農転職の動向』昭和五四年一二月)、昭和四七~五三年の七年間、「同一市町村内」に移転した者は四六・八~六六・五パーセント11635 第1章 地域経済と経済政策
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