六〈略〉)。〈中略〉のあいだにあり、その比率は近年ますます高まっている。「同一支庁管内」が一六・九~二二・一パーセントのあいだ、「他支庁」一一・九~一九・四パーセント、道外は三・八~五・〇パーセントとなっている。このような数値は、われわれの調査結果とほぼ一致するものである(図四―離農者の大部分が自分たちの郷土の周辺に止まる傾向のあることは、北海道のみの特質であるか。これまた答えは否である。農業を離れても、自分の農場の近くに住みたいと願うのは、アメリカの農家も同様である。十勝平野は三方を山に囲まれ、そのほぼ中央部に一五万都市帯広市がある。このような姿は「チューネンの孤立国」をほうふつとさせるものである。「帯広市は十勝離農者のふきだまり」といわれているが、たまたま帯広を訪れる十勝郡部の農民たちは、かつての仲間たちとここで出くわすことが、しばしばである。帯広市の生活保護世帯や失業保険受給者のなかに、かつての離農者が数多く含まれている。帯広市の存在が十勝離農者の管外転出をくいとめているということは、まぎれもない事実である。いずれにもせよ、十勝離農者の大部分が、友人・知人も多く、長く住みなれた郷土の近くに生活しているということは、地元にそれだけの就業機会があったことが土台となっており、離農者にとってみても幸せなことであったと思う。人生の大部分を農民として生きた離農者たちは、たとえその職業を変えようとも、その本質的部分は依然として農民なのである。彼らは農業・農村への強い郷愁を持ち続けている。ムラの学校の運動会には、かつての離農者たちの多くが顔をみせ、村人たちと旧交を温め合っているし、「運動会にやって来た離農者たちは、必ず昔の自分たちの畑を見に行き、そこが依然として耕されていると安心して帰って行きます」という農民たちの話を聞くにつけ、その感を深くする。(北海道立図書館所蔵)117 第2節 経済構造と雇用・人口
元のページ ../index.html#131