北海道現代史 資料編2(産業・経済)
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資料1は、一九四五(昭和二〇)年五月に次官会議で決定された「北海道疎開者戦力化実施要領」に対応して道庁北海道の第二次大戦後の農業の起点を考えるとき、第一に挙げるべきは農地改革である。全国的に農地改革は実施されたわけであるが、北海道の場合には農地の再配分にとどまらず、戦後開拓のための用地買収が大量に行われたことが特徴である。これは、北海道が依然として開発途上地域であり、日本の敗戦後の在外居留民引揚者や復員軍人などの人口収容や食糧増産の基地として位置付けられたからである。時期的には戦後開拓の動きが先行する。から通達された「北海道集団帰農者受入要綱」である。大都市の戦災疎開者を拓殖帰農させるというもので、「拓北農兵隊」と呼ばれた。五万戸二〇万人の目標とされたが、敗戦によって中止され、戦後緊急開拓に引き継がれた。津軽海峡で敗戦を迎えたケースもあり、戦後の大混乱の中で苦渋にみちた生活を強いられた。「受入要綱」は通達されたものの、その準備は当然ずさんなものにならざるを得なかった。これを描いた開高健『ロビンソンの末裔』(中央公論社、一九六〇年)は上川町へ入植した人々の姿を描いていて、参考になる。戦後緊急開拓事業は一九四五年一一月にスタートするが、北海道の当初目標は入植者二〇万戸で開墾七〇万町(ヘクタール)を達成するというものであった。実際には一〇年後の一九五五年には入植戸数二万六千戸、一三万八千人、耕地面積は一三万ヘクタールという数字が残っている。この中であまり注目されてこなかったのが都県からの入植者戦後開拓の諸相解 第一節 農地改革と戦後開拓151解 説  説 (1) 

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