北海道現代史 資料編2(産業・経済)
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のである。当時の「逆コース」などの情勢判断などで現在から見るとマイナス面を強く意識した表現も一部ある。資である。一六頁の読み応えのあるものであるが、紙幅の関係で半分ほどに圧縮して掲載している。短期間で実施された農地改革においては実施機関における努力は並大抵ではなく、その苦労話を含めて当時の雰囲気を伝えている。一般的に農地改革は、自作農の創設を大きく進めたと評価されている。しかし、アイヌ民族にとっては、もちろんこのとき小作地を買い取ることができた人々もいたが、同時に、これとは大きく異なる問題に直面した人々が多数いた。いわゆる給与地が買収の対象となった問題である。明治政府は、北海道の開発・移住者の入植を進めるに当たり、それまでアイヌ民族が使用してきた土地の多くを官有地などに編入、これらの施策のためアイヌ民族は生活基盤の大きな喪失を被った。このため「北海道旧土人保護法」(一八九九年)による給与地を重要な生活資産とせざるを得なくなったが、これらの土地も和人が長期の賃貸借を締結し、実態として小作人の所有に近いものとなっていた例が多くあった。資料5①、②は、こうした和人の小作地を地主であるアイヌのもとに〝返還〟することを求める動きが予てからあったことに関わる記録である。したがって農地改革に関する諸法令の公布に対し、社団法人北海道アイヌ協会(一九四六年設立)や各地の人々は、     用除外を政府に申請、一九四七年中は政府も判断を示さず給与地の買収を保留した(一一月一七日付け農地部長通給与地に対する農地改革施行の適用除外を求める請願書の提出など様々な運動を展開した。資料6①は初期の道庁の姿勢、資料6②はこれに対するアイヌ協会の要請活動の一端を示す資料である。農地改革に対する地主層の抵抗は日本各地で見られたが、アイヌ民族にとっての給与地は大きく事情が異なっていたのである。道庁も一旦は給与地の適料4は、「十年をふりかえって―農地改革当時の想い出」という農地改革の中心となった人たちによる座談会の記録アイヌ民族にとっての農地改革153解 説(3) 

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