北海道現代史 資料編2(産業・経済)
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資料11と資料12は、全国的に政策展開された新農村建設総合対策あるいは新農村建設運動と呼ばれた事業の記録であ資料11では、冒頭で上から与えられる補助金を待っている時代は過ぎ去りつつあると宣言し、「新しい村づくり」酪農経営の基礎が構築されてきたのである。資料10は、根釧パイロット事業と並び世界銀行の融資を受けて実施された、篠津泥炭地開発の地元組織の中心である篠津中央土地改良区の専務理事を務めた人(資料9①の人物と同一)の回顧である。北海道開発局、北海道、土地改良区が分担して事業を実施することの困難さが述べられている。北海道の農業近代化は、土地基盤の整備とその上で展開する機械化や施設整備が注目され、個別経営の規模拡大が評価されてきた。したがって、概して個別経営の展開が主流で、集落などの協同組織の力は弱く、その点が都府県の自治村落をベースとした農村とは大きく異なるのだと言われてきた。確かに、農業近代化の推進力となった数次にわたる農業構造改善事業において機械の共同利用組織が補助金の受け皿として設立されたが、ほとんどが事業終了後に空洞化し、機械は個別利用されるケースが多かった。とはいえ、歴史的に見ると、第一次大戦後の北海道農業の再編成の過程においては、当時の農会や産業組合の下部組織として設立された農事実行組合が政策浸透の機能を果たしていた。第二次大戦後においても、次に述べる連続冷害後の経営転換のために、集落活動が大きな役割を果たしている。この点は、農協設立の提言でも強調されている。る。これは、一九五六年に刊行された雑誌『北海道経営だより』(翌年『農事組合だより』と改称)の記事である。二〇〇〇年頃まで刊行された息の長い雑誌である。北海道農業自立推進協議会からの刊行であるが、この協会は「移動村づくり大学」を開催するなど集落づくりを基礎に協業組織や農業生産法人などの育成に取り組んだ団体である。を標榜している。それが実現されたかどうかは置くとして、食糧増産一辺倒から地域の特色を持った農業振興を図ろ新農村建設運動156第2章 農業   (2) 

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