資料12は「農家集団活動のみちしるべ」であり、農事組合の実態調査をもとに、農家集団活動の育成の方向を示してうという機運が高まっていたことは間違いない。農業改良資金制度も当初は意欲的な意図を持っていたようである。いる。(3) 冷害の多発とマル寒法戦後の北海道農業の直面した課題は、連続冷害の克服であった。資料13は、一九五七年の十勝地方の現地ルポである。「二九・三一冷害」(一九五四年と五六年の連続冷害)後の状況を記したものである。十勝地方の農業構造はチューネン圏といわれ、帯広を中心にしたバームクーヘンに例えられ、中心部がより安定した農業地帯で、外側に行くほど不安定になり、外周部の山麓地帯や太平洋沿岸の濃霧地帯が最も条件が悪くなる。ここでは、そうした地域の条件を踏まえながら、豆の連作による問題、それを克服するための酪農の導入の動きを示しているが、何といっても負債問題が全体の動きを規制しているという。冷害の直撃を特に受けた北海道の畑作地帯を対象として、立法化されたのが資料14の北海道寒冷地畑作営農改善資金(通称マル寒資金)の創設である。ここでは国会議事録から趣旨説明を抜粋している。上に示された冷害の実態を踏まえて、長期低利の営農改善資金を貸し出すことが眼目であり、国内では珍しい地域立法である。この時期の北海道の農政と農民運動の成果と言える。157解 説
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