資料18は畑作地帯の事例である。オホーツク管内津別町では、一九九五年に「農業振興プロジェクト会議」を設置以下ではまず、北海道農業の「三本柱」である稲作(コメ)・畑作・酪農のそれぞれについて、危機的な状況を受け止め、それに対処しようとした当時の状況を知ることができる資料を取り上げる。次いで、地域維持の限界を超えて農家戸数の減少が進むことへの危機感から、地域独自の担い手対策に踏み出した酪農地帯の記録に触れておきたい。北海道農業において農家負債問題がクローズアップされたのは一九八〇年代後半からであり、道農政部も八五年から全道を対象とした大規模な調査結果をまとめている。負債問題の基本的な要因は、借入金に依存して規模拡大を進めたことにある。収益性が悪化する環境下で償還が重荷となり、経済階層区分でいうところのC階層(約定利息の一部のみ支払可能だが元金は償還不能)やD階層(農家経済余剰がマイナスで償還財源がない)の農家を広範に生み出した。このことは、稲作や畑作に比べて投資額の大きい酪農では一層深刻であった。前後するが、道農政部が酪農を対象として農家負債問題の実態調査を行なったのは一九八一年であり、これを踏まえて負債整理対策が実施された。資料実施された酪農負債整理対策事業に乗った「対策農家」の実情が克明に描き出されている。して、地域農業が抱える問題点を徹底的に洗い出した。資料は一年後の一九九六年に、全町民向けに行われた報告会の配布資料である。プロジェクトのメンバーは農業者一七名に関係機関(役場、農協、農業改良普及センター)が加わり、総勢二八名であった。当時の時代背景に触れておくと、一九九〇年代に入って津別町は連続した自然災害に見舞われ、負債問題も含めて厳しい状況に置かれていた。プロジェクトはそれを何とか打開するための方策を考える場逆境をのりこえて160第2章 農業17は、一九八五年の日本農業新聞の連載記事「涙のランナー―負債からの脱出」である。一九八一年から五年計画で (1)
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