でもあった。このプロジェクトは二〇〇〇年まで続けられ、その後に様々な「実践」を生み出した。幾つか挙げておくと、町独自の条件不利地域直接支払制度の創設、道内でも先駆的な複数戸法人(畑作)と有機酪農研究会の設立、農協出資法人を活用した新規参入支援、二億円を超えていたエゾシカの食害を防ぐ鹿柵の設置完備等である。また、このプロジェクトに参加していたメンバーが、その後の地域農業のリーダーとして成長していったことも忘れられない。の需給及び価格の安定に関する法律」(新食糧法)が成立した。これにより、コメの生産・販売は産地レベルでの主体的な対応が鍵を握るようになった。JAグループ北海道は一九九六年に新食糧法に対応した「北海道米生産・販売方針」を策定した後、九七年から「用途別販売」を導入した。ロットの大きな道産米を全量「売り切る」ための戦略である。その鍵を握るのは、道内の主要地域に整備した大規模乾燥調製施設を拠点とした広域産地形成と、タンパク値などで区分する「仕分け集荷」である。掲載した資料は、この延長線上で二〇〇二年に策定した新たな方針である。北海道の生産者が受け取る米価水準は、一九九〇年代半ば以降に急落し、二〇〇〇年代に入ってから一段と引き下げられた。新たな戦略では、高品質米・一般用途米・価格訴求米の三区分を基本として、用途別生産・集荷と品位別販売を実施するとしている。北海道における農業の新規参入は、酪農と施設園芸で多くの実績を生み出している。酪農の新規参入は、一九八〇年代に創設された「農場リース事業」を活用するのが主流であり、現在でも年間一〇件程度の実績を上げている。この事業は、離農牧場を整備した上で新規参入希望者に売り渡す仕組みをとるが、タイミング良く新規参入希望者を確資料19は北海道の農業団体によるコメ生産・販売方針である。従来の食管制度に代わり、一九九四年に「主要食糧独自の担い手育成に踏み出した地域の記録161解 説(2)
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