海道入植本隊がいよいよ出発する。行く先は既報の通り十勝国中川郡西足寄村元陸軍々馬補充部跡二千五百町歩の沃野、送出母体たる南村山郡柏倉門伝村の本隊は家族を含め計二百名が来る十日、庄内開拓事業協同組合の三百名は同じく十五日現地に向う。これで廿一年度総計二百戸の発出を完了するわけだが、両者が昨年十一月、今年二、三月におくつた九十七戸の先遣本隊の現地における評判はなかてるのは引揚者生業資金の貸出が面倒な関係から資金の面と遅配を予想される食糧事情で送出母体中の各方面の強力な後援が要請されてい)。新に三百戸を決定別項通り県の二十一年度北海道入植計画も近く完了するが、早くも二十二年度プランが着々進められてる。当初県では新年度千五百戸を予定したが、樺太引揚者を優先扱することになつたゝめ第一次分として三百戸の県割当がほゞ決定した。入植地区は未定。このほか特殊計画として釧路標茶地区の一大畜産開拓(る脱カ く 編者注)〔(紙面下部広告欄〕団開設がもくろまれている。これは弥栄開拓団引揚者を中心に第一年の今年度ぜん国から三百戸が参加、うち本県には百三十戸が割当てられたもの。同地区はガスのため普通の農業は成り立たず畜主営農をやるわけだ。一農家最初乳牛三頭、馬二頭飼育の目標だが将来はこゝがぜん国開拓地への家畜供給地になる予定。以上の詳細打合せは二、三両日東京で開催の北海道入植ぜん国会議で行よく、たゞ困つわれたが、何れも四、五月にかけ現地に渡ることになつている。○満洲引揚開拓民(義勇軍)諸君!○緊急開拓国策に挺身せんとする諸君!北海道開拓希望者と北海道拓殖実習生とを募集中である北方寒地事業、酪農経営等の特殊性に鑑み満洲引揚開『山形新聞』一九四七年五月一三日(国立国会図書館所蔵)169第1節 農地改革と戦後開拓
元のページ ../index.html#183