(本道においては、特に不在大地主の所有耕地が内地に比して多く、これが全面的に解放され、また牧野の解放においても内地よりはるかに多く、―六割弱―かくて農地改革を内地と較べて相対的に有利に行い、その他の諸事情も相対的に有利―戦後、東北、北海道の水稲、畑作反収の増加は内地水準を抜いており、戦前存在した北海道米と内地米との価格差が米不足、統制機構によつて消滅した等―に働いた)ところがこうした条件も食糧事情の一応の安定化とともに崩れはじめ、二五年以来内地では五反未満は脱農又は若干の五反以上層への進入、三町以上層の崩落、五反~三町層の中ぶくれが再び始まりつつある。本道においては二町未満層殊に一町未満層の脱落が顕著であり、他方、五町以上層(実は一〇~二〇町層と二〇町以上層)において増加している。このことは明らかに北海道においては両極分解が進んでいることを示すものといえよう。(第七図〈略〉)また、たらいの中でひしめきあうような土地不足の状態は、政治的な逆コースの中で土地移動、闇小作料を公然化しつつあり、正に戦後一〇年自らの力で斗い取ることなく、上からおしきせの「解放」の衣はようやく綻び去らんとしている。第八図〈略〉は正に半封建的高率小作料と地価の「復活」する勢いを示している。かくして、農地改革およびその後の諸事情が、内地に 上昇傾向がみられるが、これが「復活」しつつある半封較べて上層経営に相対的に有利に展開した本道においては、その相対的有利性を足がかりにして合理的農業への建的高率小作料に代表されるような「逆コース」との相剋において勝ち抜きうるものとなるか、内地同様後者に屈服するものとなるかどうか、歴史の方向を冷静に見定めなければなるまい。農民の土地への執着心は想像に絶するものがあるが、農地改革によつて狭いながらも耕地を自分の所有することのできた農民の喜びは大きかつた。彼等は一たび手に入れた耕地は再び手離すまいと決意する。そして、新し所有者意識と土地の生産性175第1節 農地改革と戦後開拓
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