B 農地改革の起きた社会的な背景というものについては、僕は僕なりにみている。それは戦前から戦時中にかけて、農地問題は大きい問題となつていつたが、それは戦争遂行のための一つの条件を作りあげてゆくという意味に使われていた。けれども、問題はむしろ、効果として農民的なものに変化していつたのではないかと考えている。例えば小作料統制令や農地価格統制令等あのような一連の戦時立法、あれが農民の小作料の適正化の一つの方途であること、土地資本としての重要な部分を占めている土地の価格あるいは資本利子の引下げ、そういうような点が法律的に取上げられていつた。戦争遂行の一つの手段ではあつた訳だが、農民的なものえのつながりが非常に明瞭になつてきて、ひいては戦後における農地改革の基盤となつたといえる。戦後は地主階級に占領軍は対立することとなるが、本当の対立者は農民であり、労働者であつた。しかし、戦後の荒廃とした社会事情の下で、農業政策として農地改革をとりあげたのは、やはり当然といえるし、又取上げざるを得なかつたということだ。それも日本独自の第一次農地改革案は、国内的にも占領軍からも強い批判をうけて、ついに第二次農地改革の過程を辿ることになつたものと私はかんがえている。A としてとりあげられた。実施する側においては大変だつたといういみで、当時その渦中でその衝に当られた苦心、苦労談を一つお聞かせ下さい。B しまつたり放棄してしまい、開放すべき小作地の面積がわからない。参考データが一つもないということで、これを頭で作り出してやつたことが一番最初の苦心だろうな。A 一次農地改革をやつた。北海道においては民選知事が出る。それに伴う道庁内部の編成替等、活躍話等は…。B そういう改革の実施過程が、混乱の中で大きい問題苦心談としては、戦争中にいろいろな統計を焼いて農民解放指令がでて、政府はそれに抵抗しながら第中央には農地局ができ、地方には各県共農地部がで177 第1節 農地改革と戦後開拓
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