きた。一つの課をつくることは比較的簡単だが、一つの部をつくるのは大変な仕事だつた。C 当時は農政課の農地係として、自作、小作に分れていた。その農地係が一躍部になり上り、当時の十人位の人間が拡大していつたわけですよ。B 県の場合は大体農地部の中に開拓関係課ができたが、北海道の場合には既に開拓部があつた。新農地部の部長を誰にするかということで、当時試験場長の農地問題の大先輩、時田さんにお願に上つた。でてもらえなければ難局はおさまらんということで、説得攻勢これつとめて、やつとOKを得た。ところが、部長は発令になつたが、部員は一人もいない。そんな変態的な期間が多少あつた。部員の募集は新聞広告などでやつて募集したわけだ……。C ところが応募するものがない。B 選衡委員は佐藤信政さん達、旧農地係員の連中だつた。その時入つた人がいまも相当いる。その次が部屋の問題で、いまにして思えばよく入つていたと思うような倉庫だつた。D B E 年間いたことになる。B こから生れたといえる。始 つてもいいすぎではない。(笑声)その後に牧野買収が積極的にとりあげられてきた。牧野買収課ができたのはF C がいなかつた頃ですね。E 版切つても、原紙が悪い。インクは悪い。おまけに紙は最悪で、せつかく一日一杯かかつて切つた原紙を、ローソクをつけて刷り初()めたらでないんだ。全くひど倉庫の三階つまり天井裏ですよ。窓が小さくて、夏は暑い。冬は寒くて参つた。あすこに二十二年の十二月から二十六年の春まで六農地改革の一番華かな時代で、八割位の改革はあす北海道の農地改革はあの倉庫の三階から生れたとい二十三年の二月だ。新聞広告をして人を募集した。そうしなければ、人倉庫だから電気がない。仕事はどんどんくる。ガリ178第2章 農業
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