北海道現代史 資料編2(産業・経済)
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F 牧野でも北海道の買収予定面積が十万町歩でしかも疎密度が〇・三で縛られている。〇・三では十町歩の買収はとても困難だということで部長が心配し、緩和方について本省えいつた。大和田啓気さん曰く、GHQえ行つたらいいだろうというんだ。D あの頃は農林省は心細かつたですね。F GHQのあの堂々とした建物をおつかなびつくり入つていつた。入口で名前などかかされて、まづ順序としてヒユーズに会つたらよいだろうということであつた。懇願、切に及んで、話はわかり、このために大和田さんが北海道にきて実情をみて、〇・三が約()分緩和になつた。徹夜の買収計画作製G 一番印象にのこるのは一番最初の二十二年の十月買収と十二月買収。できた議案が十センチ位の厚さがあつた。買収の面積と名前と対価だけを裏表にかいてその位あつた。三晩位の徹夜で、一週間位いのこり、最〈中略〉幾カ後の夜などは毛布で寝泊りしてやつた。H た。馬小屋から農地改革は生れたという訳だ。C の氏名をかいていたら生命をなくするということで、うまい方法はということになつた。そこで何村は何名。総計面積何町歩と道の農業委員会と交渉してやつた。何が何だか訳らない議案だつたね。G までは月に一回位だが、それをガリ版できつて委員会にしらせるのも一苦労だつた。E に本当の名前をかいたのは一枚位で、あとは好太郎とか秀吉とかかいて、しかも裏にはへのへのもへじがかいてある。彼氏、天下の阪()東をこう間違うとは何事だという訳で……、当時アルバイトを一日百人位入れていた頃の忙しい想い出話です。F 農地改革の生れたのは入口に莚のはつた馬小屋だつ売渡計画書をどうつくるかで苦労したね。一人〳〵それに、農林省からは毎日のように通牒が来る。い道議会の阪()東秀太郎に叱られた話がある。買収令書道の役人はみんな共産党だなどともおこられまして坂坂180第2章 農業

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