G サボツたというよりむしろ不勉強だつたといえる。C 北農の推進協議会よりの脱退は当然であつたが、問題は日農だ、日農が何故脱落していつたのかね。B それに組織というより個人プレイが多かつたようだ。日農の組織そのものも勢力があるようにみえて実際にはそれ程ではないといえる。H そのことは日農の組織自体に反省しなければならない点があるんぢやないか。C 当時は日常活動まで手を伸すような十分な組織ではなかつたということだ。役人の実施した農地改革G 農地改革を実際にやつたのは村の書記と二、三の委員ですね。D 農民自体が農民解放ということを意識していなかつたように思う。だから小作争議なども相当の圧政がなければ起せない。B 農地改革が戦前戦(後中に実施した農地調整のやり方と現象的には同じであつたということと同じように、戦時中)た(い線をもちこんだものはいなかつた。農地改革が主として役人の手によつて進められていつたのだが、現象的には日農が農民的感覚をもつてやつたと同じであつたと思う。組織的な系統だつた大きいG すか。B C 体的不買同盟という動きはなかつた。E 現れが一寸でたんぢやないですか。B 思う。そういう成長のしかたもあつてよかつたと思う。のがある。あれは有島さんの個人所有ではなく、水と空気という様なものだという理想で解放した。当時の法律上、そういう所有形態はない。それで産業組合有として実現したところが農地改革で買収すべきかどう マ)マ売渡拒否の運動を北海道が起したのは日農だつたで実質的な動きではなく、一寸した掛声だつたと思う。一般的な方針としてはでていたかもしれないが、具鷹栖か比布村で国の小作人になるんだといつてその不買同盟のようなものがあつてもおかしくはないとそれに関連して例の有島農場の歴史的な背景という183第1節 農地改革と戦後開拓
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