北海道現代史 資料編2(産業・経済)
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すれば、建設費と建設年月が節減される見込がある。当地方の篠津地区は極めて有望であり、工事が最も容易で、しかも近代的設備と方法を採用すれば最大の効果があげられるから、真先きに近代的技術を採用する上に申分のないところのように考えられる。篠津開発事業総経費は大体百億円で、しかも増産高は年々二〇億円余に達する見込である。約二五〇万ドルから三〇〇万ドル程度の設備と技術役務を海外から輸入する必要があるとみられる。機械開墾試パ験事業日本の長期に亘る食糧供給の改善のため根本的に必要とみとめられることは、日本に、迅速な、大規模な、工費の割安にあがる開拓の技術を導入することである。日本では、この種の仕事に関する経験がないから、第一着手として三つの試験事業を計画し実施してみることが先決問題である。三ヵ所の異る地方〔(石狩川泥炭地帯、北海道東部根釧平野、本州北部北上地区〕で、その可能性をテストしてみる上に必要な技術援助と設イロット編者注)備の供与のためには約一五〇万ドル(一〇〇万弗開墾機械、五〇万弗乳牛)の外貨を要するものと考えられる。もし試験事業に成功すれば、この種の事業の拡充費として、更に三〇〇万ドル程度の外貨が必要になると考えられる。現地の情況を調査する傍、事務所の建築に取りかかり、取り敢えず我々の宿舎の建築から始めた。地区開発は根釧パイロットファームと名づけて、第一回目の入植者六十名ほどは、弟子屈の釧路拓殖実習場で一年間の訓練を根釧パイロットファーム建設の回顧〈一九五六年頃〉(北海道大学農学部図書室所蔵)中條猛『私の生い立ちとその歩み』一九八六年① 9 根釧パイロットファーム建設事業〔農地開発機械公団時代〕196 15 第2章 農業

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