終えて既に協同居小屋を建設して入植していたし、間もなく北海道庁の営農指導所、開発局の根釧開墾建設事業所も開設された。三機関の分担業務であるが、開墾建設事業所は、道路工事や排水事業、基幹防風林等の基礎工事を担当し、農地開発機械公団は、機械開墾と土壌改良のみを専任し、北海道庁の営農指導所は入植者の経営万般の指導に当たることになっていた。事務所用地は、機械公団が地元農業協同組合から譲りうけ、事務所も機械公団が建築して三機関が一緒に入ることにした。それぞれの責任者は、幸いにも昔、北海道庁で共に勤めた仲間同士であったから非常に都合がよかった。えてして、こういう寄り合い世帯はなかなか円滑にはいかぬのが普通であるけれども、ここでは三者が一体となって協力して事業の成功を期することに努めた。七月終りには総ての建築物も完成して、東京からは成田理事長が来られて盛大な開所式が行なわれた。この頃は、既に本所から荒木、前田の諸君が赴任してきていたが、オペレーターの現地採用をしなければならず急に忙しくなってきた。この年、農林省には農村建設青年協力隊という制度が出来て、高校以上を卒業した青年が一年間トラクターの技術研修を受け、そのうち二十五名が根釧に派遣された。この青年達には一年間実地訓練を兼ねて協力してもらうことになった。この青年達のためにも規律を守ることは大切なことであったから、私は毎朝六時に青年隊と職員全員を事務所前に集合させて朝の挨拶を交わしてそのまま作業を開始することにしていた。職員も、青年隊員もみな、それぞれにこの大事業を完成させなければならないという使命感に燃えて情熱を傾けてくれた。ここでも仕事の細部に亘ることは避けることにするが、 作業は結果的に成功させることができて、数年のうちに私が当初心配していたこととは別に大型機械による開墾全道に大型機械による開墾事業を拡げるようになり、暗197第2節 農業近代化の始動
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