渠排水事業等もこれまでは手作業で実施していたものをトレンチャーという機械作業によって非常に能率をあげるようになった。しかし、この陰には職員の大変な苦労があり、試行錯誤を繰り返しながら遂に成功の域に達したものであることは忘れることの出来ない事実である。こうした〔(北海道農業の〕トライアル・アンド・エラーの、最も新しい切り札として始まったのが、根釧原野のパイロット・ファー厶である。一九五六年に着手され、翌年から入植が始まった。機械開墾で原野を畑にし、一戸当り一五―二五町歩の酪らう農経営。古い日本農業からみれば、まったく新しい方式で始まった農業経営は、今後編者 注)くの(道史編さん室所蔵)本多勝一『北海道探検記』(角川文庫)一九六五年編者注)〔(東京外国語大学〕アジア・アフリカ言語文化研究所員)どのような歩みをみせるだろうか。一九六〇年の三月上旬。北大の富川盛道博士(現在を隊長とする根釧開発地域踏査隊が、パイロット・ファームに一〇日間ほど住みこみ、社会人類学を中心とする調査を実施した。以下の紀行は、そのとき私も同行して住み込み、見聞したものである。パイロット・ファー厶のような試みは、それが成功だったか失敗だったかは、かなりの年月がたってからでないと断定できないし、状勢も短時日に変化しやすい。これは、一九六〇年の三月という時点での、ひとつの断面である。かなり無遠慮なことも書いたので、この章を含めた開拓地の登場人物は、すべて仮名にした。政策の「新しい試み」による結果は、開拓者のパーソナリティーによる欠点や長所を含んではいるが、根本的には体制の問題として考えるベきものであろう。三月二日の朝、二台の雪上車に分乗して弟て子し屈かを出発〈中略〉 が ② パイロットファー厶探訪〈一九六〇年三月〉〔開拓地を訪ねるパイロット・ファーム〕198第2章 農業
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