どもらと冗談をかわし、二十歳近い長男と酪農を論ずるうちに、筒井さんの口がほどけてきた。 「運が悪いんだ。運が……」きれずに発言するときよくある「熱」をおびている。入植いらい生まれた六頭の子牛が全部オンだったというのだ。いま成牛が五頭。入植前も美び瑛えで農業をしていたが、酪農専門にやるつもりでここへ来たのに、「春また生まれるが、どうせオンだべ」な、皮肉な笑いを浮かべる。夕食の用意ができる。直径一メートルほどの丸テーブルでは、ミソ汁の鍋と煮豆のドンブリをおけば、二、三人ぶんのスぺースしか残らない。末っ子など床にはいつくばって食べている。それでも二、三人はアブれるので、マンガを読みながら順番を待っている。しかし筒井さんの場合は、パ・ファー厶底辺の中でもなんとかやってゆける線である。床丹第二地区南部の渡辺さんは三十三年入植の組で、住宅も資材値上がりのおかげで平家建てだ。渡辺さんは新婚の妻と入植するつも無口な人がガマンし筒井さんは、情なさそうりだったのに、彼女は結婚詐さ欺ぎみたいな行状の後逃げてしまった。入植には二・五人以上の稼働力が条件だ。しかたなく弟と妹の名を加えて入植したものの、弟は近く計理士となって離農するし、妹も嫁に出てしまう。さらに渡辺さんは去年の秋、木で胸を打ってロクマクになり、入院してしまった。一人もいなくなったこの農家に、いま上か富ふ良ら野のの実家から六十を越えた両親が来て三頭の牛を飼っている。実家も農家だからいつまでもここにはいられない。前年の暮れに生まれた最初の子牛はオンだった。 「手がないから、このほうがかえってよかった」と白髪の老父はいうのである。パ・ファー厶の底辺では、オンが生まれて喜ぶ農場もあるのだ。(北海道立図書館所蔵)〈一九六五~七三年〉中條猛『私の生い立ちとその歩み』篠津地域泥炭地開発事業の回顧202 ―いみ―10 第2章 農業
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