北海道現代史 資料編2(産業・経済)
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理事長を兼務しており、これを心よしとしない市町村長が多く、土地改良区の運営を困難にしていた。この様に、いろいろな面で難しい地域であったから、私が専務理事として就任するに当たり、随分とやりにくいことが多かろうと、北海道庁では開拓部総務課内に篠津係という一係を新設して森課長補佐以下多大の協力援助を惜まずにやってくれた。この地方の農民は、その歴史が古いだけあって、知能も優れており、それだけに妥協も難しく、まず先に自分の利益を優先させて、なかなか自分の主張を変えようとしない者が多かった。私は員外理事として専務理事に就任した、いわばよそ者の北海道庁からのおしきせ役員だっただけに、最初のうちは組合員からは常に道庁からの回し者のように白眼視されることが多かった。私は知事のお世話でこの職場に就いたのだから、今更辞めるわけにもいかず、ただただ自重して、気長に住民と交わるように心がけた。開発局や北海道庁の多大な協力もあって、そのうちだんだんと組合員の心も融け始めて、私に近づいてくれる者も多くな(っきたが、それでも三十件に余る未解決の問題は決着するまでに至らなかった。昭和四十四年理事の任期が満期となり、改選になった頃は、組合員も漸く私を理解してくれて、私は理事長に選出された。一期四年の任期であったが、私は、再任された四年間のうちに困難な諸問題を全部解決して、そのうえで三選は辞して自適の生活に入りたいと固く心に決めていた。幸いにも、篠津中央土地改良区には、誠に頼り甲斐のある強気の参事秋田谷君がよく協力してくれて解決の糸口を探ぐり出してくれたので、さしもの難問題も二期目の四年間で全部解決することができた。もちろん、これには、北海道庁や開発局の絶大な後援があったればこそであったことは言うまでもない。(道史編さん室所蔵)204      マ)マ第2章 農業

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