北海道現代史 資料編2(産業・経済)
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であつて、農家個々のなかに入つてゆくと、似通つたナヤミをもち合せている。例えば士幌の水穂部落をたずねたとき「将来豆づくりをやめたいと思つています。耕地の七割近くが豆では、色チガイの豆を年をかえてまいても、連作にかわりはないのですから、土地がいたみます。そうですね。これからは酪農にきりかえて、牛を四、五頭はもちたい」と、Tさんが話していた。この人は一昨年から牛を飼いはじめて、げんざい搾乳牛を二頭もつている。耕地九町歩というと、この町の平均に近く、昨年まで豆類を五町五反つくつていたが、ことしは三町七反にへらしている。牧草地やデントコーンにふりむけたからだ。なぜそのように考えたかというと、連作によつて病虫害の発生がひどいからだ。同じ町の常盤部落のKさんは「豆の連作で大豆はキンカク病、菜豆類は炭素病がついてきました。薬剤防除だけに頼つていると、どうしてもコストだおれになつてしまう。防除してソロバンの合うのは馬鈴薯だけで、豆は三俵以上とらなければ、まかたしません」と話していた。このまま豆づくりをやつていけない、という切実な気持が「酪農」を身近かなものに考えさせているのだ。そのせいか、どこの町村にも牛がかなり入つている。新得では、二十四年に三百頭のものが、一千頭にふえている。士幌では、昨年三百五十頭いれて、げんざいでは八百頭にふくれた。広尾では、三十年に六百三十頭のものが、げんざい九百頭。芽室では、二十三年に二百頭そこそこのが、げんざいでは九百頭をこしている。このように、ここ近年で牛が農家の手に急げきに入つ    「私たちは技術的にみて昨年三百五十頭の牛をいれるこていることがわかる。だが、士幌の農業改良相談所長がとには賛成しかねました。約二倍に牛がふえたのに、飼料作物の準備ができていないからです。それと、零細な農家に牛が入つたので個々の経営のなかにとけこんでいません」と語つているように、おいそれと、牛は農家に甘い汁をすわせてくれていない。牛は急にふえたが…218第2章 農業

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