いままで販売作物に力をいれていたところに、牛を飼い、飼料作物にきりかえるのだから、現金収入の面でガツンとぶつかる。そこにもつてきて、牛の購入は自己資金ではなく、農協の借金でまかなつているので、その返済が頭にくる。というわけで、一頭や二頭ではどうにもならないということになる。それにサイロ、畜舎などの設備資金も借りないとならない。新得のTさんは、牛を六頭〈搾乳牛三頭〉もつているが、負債を百万円つくつている。この人は酒もタバコものまないが、牛やサイロを借金でまかなつたので、年間十万円の利息を払つている。いつそのこと、売りはらつて、また畑にもどろうか、と考えることもあるという。このように冷害対策でいわれるところの「酪農」は、実際農村に入ると明るいものではない。げんざいの経営の形でやつていけない農家が牛をいれるのに、その牛が借金だとなれば、ますます苦しみが重なるわけだ。それらの農民はみんなが口をそろえたように「長期の低利資〈中略〉金」を政府が考えてくれなければやつていけない、と訴えていた。ついていけない下層農では、そのようにつまつている農家の内情はどうなのだろう。どの町村に入つても、上層と下層のひらきがはげしくなつてきている。気候的にめぐまれない新得町についてみよう。全農家七百六十戸のうち三分の一は全く借金をへらしていく見こみのない農家。四十万から五十万、ひどいのになると七八十万の借金を背おつている人がいる。まつたくの赤字農業をしている山ロク地帯の畑作農家。度重なる天災によつて、負債になれてしまつたというのだろう。例えば、Dさんのところをみると、石ころだらけの土 地で、豊作の年でもソバ十俵〈二万円〉しかとれない。大豆をつくつても、売るようなものができない。というわけで冬には山にでて働いている。米を食べたこともなく、ほとんどカボチヤやイモを食べているという。そこには、開拓者七十七戸ばかりが入つているが、先住者が219第2節 農業近代化の始動
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