北海道現代史 資料編2(産業・経済)
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涙のランナー 1 家族の援助〔(一〇月二五日付記事〕「苦労をかけた」今だから笑って話せる負債 ―    北海道の農民をこれほど苦しめているものはない。今も、負債が負債を呼ぶ悪循環の中で、離農を強いられる農家は後を断たない。一方で、一度は負債地獄に陥りながらも、必死に再建に取り組む、農民、農協がある。五年前から始まった酪農負債対策事業に乗った〝対策農家〟もその一つ。その中から、ようやく再建の見通しがついた農民を中心に追いかけ、負債地獄からど逆境をのりこえて負債からの脱出〈連載記事〉『日本農業新聞』一九八五年一〇~一一月編者注)う脱出したらよいか、酪農で生き抜く姿を再現した。家族の温かみを、これほど知らされたことはない。孝一(四七)=仮名=は、今、そう思う。負債対策農家のレッテルをはられても、家族には協力と結束があった。この妻、この子、母がなかったら、今のように、牛舎に行くことが楽しくなるような状況は、実現できなかったろう。日本海に、へばりつくように開拓された町。五十四年、孝一は、それまで、妻と出ていた、山の「出面」仕事に終止符を打つ。「四十歳を超えた自分の体力と、妻の体をいたわるため」の決断だった。そして、互いに助け合える、酪農家への第一歩を踏んだ。五十四年は、生乳の計画生産が始まった年とはいえ、他方では、酪農への期待があった。農協の勧めもあって、希望の出発。牛舎、機械など、設備投資のため、二千五百万円を借金した。二十一ヘクタールで、二十頭を搾る。酪農を始めたものの、うまくいく保証はない。えさの年々増える負債第四節 国際化農政期の北海道農業農家負債問題克服の軌跡233(1) 17 第4節 国際化農政期の北海道農業

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