北海道現代史 資料編2(産業・経済)
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やり方、草地の改良も十分でなく、一頭当たり年間乳量は、わずか四千キロそこそこ。想像以上に出なかった。粗収入一千万円弱。経営費は若干下回ったものの、家計費が出ず、初年から、百万円の組勘(組合員勘定)赤字を出した。 「借金で始めたのだから、軌道に乗るまでは、ぜいたくできない、と、家族に言い聞かせてきた」孝一だが、まさか、年々負債が増えていくことになるとは、思わなかった。一三%の金利を支払うだけの収入が得られなかったのだ。五十六年、借金総額は、三千六百万円にもなった。農協の組合員の中でも、上位。「巡回にくる農協職員の目、言葉が気になった」。この年返さなければならない二百三十万円は、「どうしても、手当てすることができなかった」。「やはり駄目か……」。不安が孝一の脳裏をかすめたこともある。「頑張ろうよ」同年暮れ、農協の勧めで、負債整理事業にのった。二人の子供は中学生。遊び盛り。孝一は、申し訳けなさそうに、〝対策農家〟になることを打ち明けた。「経営費どころか、家計費まで農協のチェックを受けるんだよ……」。妻と母は、苦労には慣れている。しかし、子供たちは、この逆境に耐えられるか。孝一の胸は痛んだ。二人の子供は、心配をよそに、「頑張ろうよ」と、明るく答えてくれた。うれしかった。「友達がステレオを持っているといっても、買ってくれとは口にしなかった」。その子供心が孝一の胸をついた。以来、孝一の家族は、四年間の再建の道を走る。妻は、毎日家計簿をつける。「つけてみると、いままで、いろんなところで、無駄遣いをしていたのが分かった」と、妻は話す。家計費は、月十五万円と決められている。以前の三分の二だ。しかも、組勘供給でなく、現金で農協からもらってくる。その十五万円の生活が続く。「食べ物は、安く売ると     ころを探して買った。着る物は姉のおさがりをもらった234第2章 農業

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