ホクレンの乳牛飼料情報をもとに分析してみると、栄養に偏りが発見された。たんぱく質が多くても、脂肪分の少ないものなど、目分量でやっていたのだ。農家別に飼料設計五郎は、理想とされる給与量を前提に、農家ごとの飼料設計をたてた。そして、農家に実行させた。「コンピューターで牛飼いができるか」と反発する農家もいた。五郎は、「おれについてきてくれ。信用してほしい」と説得した。「おれも、農家も、真剣だった」。五十六年、十九戸の一頭当たり乳量は四千三百~四千五百キロに低迷していた。それが、見事に今年、六千三百キロを達成できるまでになった。収入も大きく伸びる。全組合員で五十六年当時一億円近くもあった農協の組勘単年度赤字は、五千万円前後に縮小した。赤字の大きかった負債対策農家の経営が好転したためだ。そして、七戸が負債整理対策を〝卒業〟した。だが、五郎はまだまだ努力が足りない、と思う。一頭当たり七千キロは搾らないと駄目だ、という。そのためには、農家間に競争心が必要だ。そこで、乳検成績、手取り乳価、乳量などをパソコンでランク付けし、農家に配って刺激した。十九戸預ったが、三戸の離農は食い止められなかった。後継者がなかったり、けがをしたりで、不運だった農家と、どうしても再建の見通しの立たない農家だった。しかし、七戸は立派に再建できた。 「自分も小さいころ、父親の借金で苦労した時、一人の普及員に助けられた。そのみじめさは忘れられない」。しかし、それは、農家には言わない。ただ「対策農家の子供を自宅に呼び、ごちそうしたり、旅行に行って土産を買ってくる」ことだけは忘れない。 「ごめんね」ただろう。春子(三四)=仮名=には二人の子がいる。七戸が立派に再建妻の努力〔(一一月一三日付記事〕家計簿つけ衣服控え 買った物を戻したこともこの言葉を、心の中で何回つぶやい ― 編者注)23812 第2章 農業
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