八歳の男の子と六つになる女の子。四年間にわたる負債整理対策は、子供に十分なものを買ってやることも許さなかった。すり切れたズボンに針を通しながら、横で寝る子に頭を下げる夜もあった。華やかだった出発オホーツク海に面する農村。春子は二十歳そこそこで、三十頭搾る酪農家の長男である夫と結婚した。結婚式には三百人近い人を呼んだ。盛大だった。白いドレスで夫と誓った言葉は「助け合い」。華やかな出発だった。しかし、嫁ぎ先は借金に借金を重ねる経営だった。当時、組勘赤字は三百万円にもなっており、農協プロパー資金で立て替えていた。近代的なサイロの裏に、五千万円もの借金があった。気丈な義父母も、結婚後一、二年は決して見せなかった苦悩の色を、三年もたつと顔に出すようになった。何もしゃべらず夕食をとる日が続く。しかし、春子は好きな夫との結婚、子供の出産の喜びと、生来の牛好きの性格から、明るくふるまってきた。夫と一緒にできる搾乳、夏の牧草収穫に流す汗は、むしろ、心地良い疲労感すら覚えた。まさか、五千万円もの借金で、夫、義父母が苦しんでいるとは知らなかった。五十六年夏、農協から夫と二人、呼び出された。そして、家の状態を知らされた。「ここ、二、三年の経営は赤字続きで、借金は五千万円にもなっている」―農協職員が説明する。夫は、耐えているようだった。すでに知っていたのだ。春子は夫が教えてくれなかったことを恨まなかった。「心配かけたくなかったのでしょう」。むしろ借金してまでしてくれた結婚式、出産用意など、夫と義父母の心遣いが身にしみた。負債対策に入ることにした。迷いはなかった。しかし やってみるとそんなに甘いものではなかった。春子には生活費の切り詰めがこたえた。今まで月三十万円は使っていた。それを、二十万円そこそこに切り詰めなければならない。古着を切り張り239第4節 国際化農政期の北海道農業
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