春子は、家計簿をつけた。衣服は買うことを控える。自分のものはもちろん、夫の作業着、義父母のふだん着、すべて古着を切り張りして使った。春子のやり方に、だれも文句ひとついわなかった。義母は野菜を作ってくれた。しかし、「子供には、新しいものを買ってやりたい」。たまに行くデパートで、「一度買ったものを戻したことも何度かある」ともいう。実家の母親が買ってよこしてくれた服を着せた。姉からもらってきたものもある。それらを大切に使った。何としても、単年度赤字を食い止めなければならない。 「なんで、酪農家に嫁いだのか……」と思ったことも「五年間の辛抱だ」という農協職員の言葉を信じた。黙々と働く夫の「すまん、協力してくれ」という言葉が支えだった。もともと、口数が少なく、消極的な方だった夫は、農協に行っては、えさのやり方を教わり、獣医には乳房炎の防ぎ方を自ら学んだ。夏には、持っているトラクターで、近所の農家に日稼ぎに行ったこともある。一日五千円の手間賃が大きな収入に思えた。 「せめて、栄養のあるものを食べさせたい食費だけは切り詰めなかった。「酪農家は体が資本。自分のものを一品減らし、夫と子供のものを増やした」。結婚前、女は家にいればいいと思った。しかし、家の実態を知った春子は、子供の世話を義母に頼み牛舎に入った。朝四時半に起き、搾乳、畜舎の掃除、炊事……。夜は九時には寝たが、子牛の出産で、真夜中に起こされたこともある。幾度。しかし、夫、子供、そして牛が好きだった。「同級会で、つぎのある靴下を、じっとスカートの中に隠した」こともある。それでも春子は、決して逃げ出そうとは、思わなかっ た。「負債があっても、夫も義父母もいい人ばかり。ただ、私と夫のために、義父母の経営規模拡大した時期が遅れて、過剰投資になっただけだもの」。食費だけは確保」―春子は、240第2章 農業
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