2 北海道民有林の復旧〈一九四八~五三年〉復旧めさましい本道民有林あと数年で常態 戦時中は軍用材として、戦後は復興資材として濫伐、 は二十三年度の三千五百町歩を最低として逐年増加し二過伐を余儀なくされてきた本道の民有林は二十三年になつてついにハゲ山二十万町歩に達し、全面積百四十万町歩の約一四パーセントが要造林地という恐るべき荒廃に陥つた。このため見かねた当時のGHQ〔(連合国軍最高司令官総司令部〕天然資源局でも「北海道の民有林は今から植えることを考えねばあと十数年後に丸坊主になつてしまう」と再三警告を発したほどだつたが、造林成績十四年度には一躍九千四百町歩と前年度実績の二・七倍に急昇、さらに二十五年度は一万二千町歩、二十六年度一万四千町歩と増大の一途を歩み二十七年度はついに三万七千町歩という記録的実績を残すに至つた。つまり戦『北海道新聞』一九五三年三月一一日企業の安定が進行促す編者注)後造林の最も不振だつたころの十倍以上の造林が現在行われるようになつたわけである。民有林といえば町村有林、社寺有林、私有林、会社所有林、学校林などの総称だが、このうち最も植林熱が盛んで飛躍的発展を遂げてきたのは学校林で、二十三年度までは森林を伐採する学校こそあれ植える学校はまず皆無といわれてきたのが二十四年度には七百六十三校が学校植林に参加、七百四十二町歩の新規造林を行い、さらに二十五年度には一千百二十三町歩、二十六年度一千二百二十七町歩、二十七年度一千四百八十六町歩と年々新たに造林を行い参加校も一千校以上(全道総学校数の約三割)に達し現在その造林面積は四千五百七十八町歩という驚異的な面積におよんでいる。民有林がこのように復旧のきざしを見せてきたのは、政府が森林法の改正を行い実際には伐るのも植えるのも森林所有者の自由意思といつた無軌道状態にあつたものを法律で伐採量に制限を与え、また森林組合を再編、強化して組合の指導で森林を経営させてゆくといつた強い276第3章 林業
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