〔(5) 私の歩んだ普及の足跡戸島隆〕 ― 初 ―5 初期の林業普及指導活動〈一九五三~七〇年頃〉五.北海道に林政運営委員会を設け林政に関する重要事項を審議せしめること。私は昭和二八年、日高管内門別町を振り出しに第一線についた。思えば三〇年近い普及職員生活であった。勤務地が変るたびにその時代の社会情勢や地域社会を背景として普及事業をとりまく環境や普及の手段、方法が変化していったのは当然のことであろうが、私は日高、渡島、上川の三支庁管内を歩き今もなお印象に残ることが数多くある。居を共にした職員はもちろんであるが、当時の人々に感謝したい気持で一杯である。日高時代北海道林務部『林業普及の年輪 及指導事業30周年記念誌』一九八〇年(国立公文書館所蔵 類〇三〇四四一〇〇)二八年~三六年北海道林業普林業の復興が本格的に始動し、市町村ごとに造林推進を目標に全力が投球された。森林組合は苗畑を造成し山出し苗木の自給体制をつくり、目標達成へ懸命であった。この頃、私は「良い山つくり」を呼びかけるため、自作のスライドを持って部落まわりをした。部落の人や子供達は私を「幻灯やさん」と呼んで親しんでくれた。造林検査は一ヵ月近くかかったが楽しかった。指導員と林家が最も良くつながっていた時代のよう(思える。本道の杉地帯である木古内町に第一歩を印し、海岸線の美しさに引かれて海釣のとりこになった。始()めて造林検査に行ったとき、植林された苗木が全部真っ赤なのには驚いた。北海殖産のベテラン職員曰く「昔から赤子と杉の苗は赤いほど良い」。心の内で「改植命令を口に出さずによかった」と思い、早速杉の参考書を買って大いに勉強した。ここでは普及重点地区の指導に力を入れる一方、平取町で川向林業グループ結成の体験を生かし、こんどは女渡島時代三七年~四五年に脱カ)281第1節 復興期の林業
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