北海道現代史 資料編2(産業・経済)
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7 機械化以前の伐採搬出労働―馬搬飯場は、入る人数にもよるが大体は同じ形で、真ん中に九尺ほどの土間の通路を造り、その両側に、二十人分ぐらいの布団が敷しかさる幅で、少し高くして板敷きの寝床を作る。自分の寝場所に決まりはないが、山子、馬追い、雑用の出面さん(馬道を造る)など、職種ごとに何となく固まるのが普通だった。布団の下は板の間だから、自分の夜具を包んできたゴザを敷く。土間の真ん中に大きなストーブがあって、暖房を兼ね炊事に使う。ご飯炊きの小母さんがいて、大きな釜で一度に三食分のご飯を炊き、大鍋で朝夕二回、切り干し大根や干しワカメなど同じような簡単な具でみそ汁を作ってくれる。ご飯やみそ汁を盛ったり、弁当箱に詰めたりするのは、各自がやらなければならない。おかずは、事務所にいろいろ置いてあり、自分で選んでツケで買ってくる。そこに焼酎も置いてあった。一人二合瓶一本と制限されていたが、好きな者は、飲まない者の分まで飲むから、酔った勢いで毎晩のように喧嘩が起こった。時にはいろんな物(ナタも)が飛んで来るので、早く寝る者は布団を頭まですっぽり被かって寝たものだ。食べたり飲んだりした代金は、月一回の給料日に精算される。一、愛馬とともに和泉尋常小学校高等科を卒業したのが、あの大戦が敗戦で終わった半年後、昭和二十一年三月だった。家は、米も少しばかり作る農業をやっていたから、食〈一九四六~六〇年頃〉愛馬・メロン・森も林りづくり八十年豊田 穂別・高齢者の語りを聞く会『大地を踏みしめ翁媼八十代の踰邁を語る て上   ぶ    (北海道立図書館所蔵)続』二〇一四年深谷時男 285第1節 復興期の林業

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