北海道現代史 資料編2(産業・経済)
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ら林構事業を受けないかとの話が、町や森林組合にありまして説明を聞いたんです。組合の状況は機械化が非常に遅くれているので、機械化をはかって民有林のために、組合員の所得の増加に役立てようではないかとふみ切りました。道からいろいろ説明を受けて、部落の懇談会などをやり、協業体の育成ということを一番力を入れてやったんですが、ある程度くずれていったという具合で、はじめの意志とやや違ったものができたんではないかと思います。司会 林構事業では協業体の育成はもちろん考えているわけですが、林業で小規模の林家が協業体をつくってやっていくということを考える場合、機械を中心にしてやるといいましても、機械の管理や運転効率などの問題もありますので、森林組合を中心にして考えているわけです。当時、なやんでおられた「民有林育成について森林組合はいかにあらねばならないか」ということと、柴田〔(湧別町産業課長〕 基本的に私たちの考えたこと司会 平野〔(音別町森林組合総務主任〕いま、美瑛さんや湧別   畜編者注)編者注)地方からの労働力の流出傾向ということに対応して林構事業が出てきて、機械化をはかり、労働生産性をあげることが直接結びつくということで、林構事業が受け入れられたわけですね。は、林業構造改善という新しい施策の中で、町内の農家が農蓄()林一体の経営を考え、その中で林業を生かして、将来の所得増強をさせていこうというように考えたわけです。林構事業を受けようとした一つの機運と合致した、ということでございますね。さんが話されたように、音別も民有林の振興、組合員のために働く森林組合という形をつくるためには、林構事業をとり入れて組合が中心となり、機械化をして労働力不足をおぎなうようなことをせざるを得ない状態にあったと思うんですよ。音別の場合は、三十四年から町有林六〇〇haに対305第2節 林業・林産業の発展

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