北海道現代史 資料編2(産業・経済)
320/1104

して、組合員のために分収造林事業をやっていたのですが、労働力は地元だけではやれないので、道外労務者も入れて一応完成するような段階になって来てました。組合員の山をりっぱに造成するためには、地元の労務者が中心にならなければと思ってました。それでどうしようかということで、森林組合で考えている矢先に昭和三十九年の春に、町のほうへ道からおいでになり、林構事業をやらないかというお話があったんですよ。指定を受ける段階は素材生産事業より、むしろ造林を主とした考え方で構想をねったわけです。司会 ただいま美瑛、湧別、音別さん(らお話がございましたが、これらの地域はいわばパイオニヤというか、パイロット的な役割をはたした地域で、当時われわれも皆さま方にやらないかということを説得にあがったという経緯がございます。その後、制度がはっきりいたしまして、地域より自発的にご希望になられた遠別さんあたり、どういう考え方でしたか。か脱カ)広瀬〔(遠別町森林組合参事〕 私のとこも三十九年当初、   編者注)道の方が見えましてお誘いを受けました。そのときは制度内容がはっきりしなかったということからお断わりしました。その後二年間、皆さんがやっておられるのをみて、ふみ切ろうという段階にいたったわけです。私どもの地域では組合が組合員を引っぱっていく体制でなければ、なかなか林業の進展を計ることができないという実情下にあります。そのためには、組合を強化することにつながる林構事業に取り組むべきだという風な考え方、この中においても、組合員に一番アッピールするものは経済事業であるということで、私どものつくりました林構事業の基本構想は、経済活動を活発に起こしていくんだというのを頂点にしました中で、林道あるいは林地流動化というものを引き出していったようなところでございます。先輩地域の手で形造られた中でやっていったということで、現段階非常に楽をしながらやっていける306第3章 林業

元のページ  ../index.html#320

このブックを見る