大な林地を有し、林地に依存するところ大なるものがあり、林業構造改善事業についてもいつかの時点で、実施する必要があるとの理事者の考えもあり、森林組合とも協議した結果、一応、初年度の指定町村としてお請けすることとなったわけである。以上のような経過で林業構造改善事業を実施することとなったわけであるが、当時は事業内容がほとんど不明で、その中で全体計画をとりまとめなければならないことに苦慮したわけである。計画の樹立は、私ども役場産業課林務係が主体となっ 業土木技術員一名を専任に当て、以上四名が事業計画樹たわけであるが、当時、林務係は二名で、もちろん増員は認められず、最終的に、森林組合より技師一名の出向をおねがいし、さらに林道の設計担当者として、町の農立の主体となり、必要あるときは臨時雇を雇入れ、他の産業課員、農業土木技術員、森林組合役職員の援助をおねがいすることとして、事業計画樹立にとり組んだわけである。このようなことを書くと、いかにも体制が万全のようであるが、内容は林務係二名は一般林業行政を推進しつつ、農業土木技術員は他の事業現場を持ちながらということで、それぞれ事業計画樹立に専念するということにはほど遠い状態であった。このような状態の中で、全町林家の林地所有状況のとりまとめ、部落会などを通じての事業内容の周知と意向調査のとりまとめ、それに基づく現地説明会の開催、また林道予定路線の踏査および林道用地提供のとりまとめなど、一方、森林組合においては、町内の林業の実態に合わせた組合の事業量の検討と、導入機種などの検討と、それぞれが実施基準を完全に周知しない中で、作業をとり進めたわけである。三十九年十一月に道係官の方が来町され、本町において予備協議会が開催されたわけであるが、当時としては、実施計画のとりまとめどころか、基本計画も完全でないということでお叱りを受けたと記憶している。その後農作物の収穫も終った農閑期を利用して、部落に乗りこみ、308第3章 林業
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