北海道現代史 資料編2(産業・経済)
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資料1は、当時道立労働科学研究所に所属していた中井昭氏の論稿から抄出したものである。戦後の北海道漁業は、戦後の我が国漁業は、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)によるマッカーサーライン(以下マ・ラインと略す)の設定によって漁場を著しく制限され、引揚者の大量流入等と相俟って、厳しい苦境に立たされることとなった。特に北海道漁業は、漁場の制約による影響を強く受け、窮迫の度合を深めていたが、その一方で漁村の民主化によって新しい道を切り開こうとする、漁業制度改革に向けた業界団体や行政機関の熱意は大変強いものがあったといえる。樺太、千島の領土と広大な北洋漁場を失い、特に根室、釧路、宗谷等の地域では操業可能な漁場が極端に狭められた。そこへ多数の引揚者と北洋漁業の離職船員が押し寄せ、東北地方の大型底曳網漁船や大手水産資本までもが侵入し、道内各地の沿岸漁村は著しく疲弊した。当資料は、このような当時の危機的状況を端的に示している。また、道東や道北以上に漁村の困窮度を深めていったのが道南地方であり、一九五〇年代に入ると当地は凶漁地帯と称されるようになる。資料2では、道南地方における漁村窮迫化の要因について、自然条件の変化(ニシン、イカの極端な不漁)、漁民層分解の停滞性、沖合漁業の未発達といった要素が指摘されている。特に海水温の上昇傾向が不漁に関係しているとの指摘は、今日に通ずるものがあるといえよう。こうした中で、北海道の漁業界では漁村民主化の機運が高まっていく。資料3は、戦時統制団体として一九四三戦後の苦境と漁業制度改革への対応解 第一節 漁業制度改革と戦後復興347解 説  説 (1) 

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